2017年8月

八月九日

さっきTBSのニュースで「(長崎)県が過去と向き合う1日となります」って言ってたけど、全国的に向き合ってくれる?? 舐めとんのかほんまに。条約の会議に参加さえしなかったことがどんなに恥ずかしく愚かしいことなのか理解してないのか?  広島も長崎も、市長が総理のいる前で条約不参加を批判したシーンをニュースで流していたから、言ったれ言ったれと思って見ていたんですけど、結局何が悪いのか分かってないのかと落胆した。「ただ単に地方自治体の首長が国の首長を面と向かって批判した」シーンを流していただけだったのか?

 

私は高校までは広島で過ごし、大学進学とともに県外に出ましたが、原爆投下の日すら知らない人があまりにも多くて驚きました。他自治体と比べて、広島の小中学校で平和学習に使われる時間が多いというのも、その時に実感した。

祖父母は広島出身ではないので、身近に被爆体験を語ってくれる人はいませんでしたが、自分が育った街がかつてどんなことになったか、資料館にも行ったし被爆した方のお話も聞いて、いかに恐ろしいことかと身震いします。表現が難しいですが、他人事という感覚ではないんです。とは言ってもまだまだ安穏としている方だと思いますが、私の愛する街が消えるかもしれないという恐怖心がある。かつて消えたんだという喪失感もある。

『原爆投下の日を知らない人』とは、このあたりに大きな隔たりがあるように感じます。もちろん知っているから隔たりがないというわけではない。広島、長崎、御愁傷様でした。で終わらされてる印象。

 

そして、私はもっと沖縄のことを考えないといけないと反省した。広島と長崎が受けた扱いは、ずっと沖縄に向けられていたのと同じものだ。本土が沖縄を切り捨てようとしているように、広島と長崎のことも切り捨てられようとしている。広島と長崎がもしも離島だったら、もっともっと無視されていたと思う。

 

知らない人には知ってほしいことがあって、原爆投下や東京大空襲沖縄戦の陰に隠れがちだけど、本当に多くの都市が空襲に遭っている。少なくとも私が今住んでいる都市では折々に写真展などが開催されているし、最寄りの図書館には必ず関連書籍があるはず。それも面倒だったらとりあえずググってみてほしい。街が焼かれるってどういうことなのか、想像するのが難しければ写真でもなんでも当時の史料を見てみてほしい。

 

この世界の片隅に」を映画しか見てない人は、是非原作も読んでください。併せて「夕凪の街」も読んでもらえれば、終盤のすみちゃんやおじさんの体調不良が何を意味するのか、もっと分かると思います。正直私は映画版はあまり好きではなくて(のんちゃんボイスのすずさんは最高にかわいかった)、映画版だけを見て「暗くなくていいね」と言われるのは侮辱だとさえ思っているので、原作読んでください。

 

もう一個、せっかくなんで今書きます。

艦これに関して、「戦時中5歳とかだった世代が艦これ批判してて、兵隊だった世代は当時を懐かしんで艦これ楽しんでる」という、前者を揶揄するツイートを以前見かけたことがある。もう、馬鹿としか言いようがありません。戦時中子供だった人が戦争を知らないとでも? 兵器の恐怖を知らないとでも? おそらく、そういう感覚が、現状に繋がってるんですよね。1億歩譲って戦後生まれに言及するならまだしも、戦争の体験がある人の声を嘲笑して何が楽しいんだ。そういう、戦争の悲惨さに目を瞑る人が多すぎる。思わず目を背けたくなるような史実であることは分かるけど、このままだとまた目にせざるを得ない状況になっちゃうんじゃないかと思う。というか、戦争が本当に終わるのには72年でも全然足りてないんじゃないか。そもそも終わった戦争ではない。

 

私は政治家が靖国に参拝すること自体には反対ではなかったんですけど、建前である「戦死された方に敬意、哀悼の意、恒久平和の誓い」っていうのが建前ですらなくなっているので、もうどこ方面に対しても失礼だから参拝やめろと思います。

 

 ふと思い出したので、昔のブログから転載しておきます。今と言ってること大して変わってないけど、当時の方がちょっと右寄りな気もする。

ドラマを見てないとピンとこないところが多いと思うのですが、注釈しようにも私の記憶も曖昧な部分があるので、オンデマなりぐぐるなりしてみてください。

「はじめに」の部分は、誤解を招く表現を弁解したかったのではなくて、私のスタンスはこうですと示しておきたくて書いたんだったと思います。

当時は「つまらん」程度の感想しか見つけられなかったのですが、批判的な感想を抱いた人はどれくらいいたんだろう。

ignire.hatenablog.com

 

他人事感というのはあらゆる問題に通ずる。