いつも自分語り

おおきく振りかぶって波よ聞いてくれ3月のライオン、私が買っているコミックスの新刊がまとめて三冊も出たので嬉しい。カルバニア物語もちょっと前に出たしね。

これで当分次の新刊はないかな……気付いてないだけで出てるかも、と思うこともあるのですが意外と発売日から一カ月以内には把握できることが多い。ツイッターさまさまです。ダンジョン飯だけは夫が「新刊出るよ」と教えてくれるのでだいたい発売日に買えます。

他に買っている漫画というとベアゲルターぐらいですが、こちらはまだまだ4巻は出なさそうです。ベアゲルターといえば、こないだスイス旅行に行った人から「ユングフラウに登ったよ」という話を聞いて、ユングフラウ、なんか聞いたことある……意味も知ってる気がする……なんだっけと思っていたらベアゲルターでした。教養が身につく漫画、ベアゲルター。

 

3月のライオンを9巻くらいから読み返していて、なんか変わったな? と思いました。自分が。天河の時はまあ、前回通して読んだのがたぶん高校生くらいの時だから見方が変わっているのもさもありなんですが、3月のライオンはせいぜい4年前とかなのにそんなに変わってることがあるもんかな? いや実際変わっているのであるんでしょうけど。

でも何が変わったのか全然わかんない! 

就職したし結婚もしたけど、それだけで価値観が大きく変わった気はしないし、人生の節目って人それぞれでそういう分かりやすい出来事ばっかりとは限らないし、むしろ今までもちょっとずつ変わってたけどその変化を自覚できるようになっただけなのかも。

 

あっでも一つ、いろんな作品に触れる上でのバックグラウンドで絶対影響あるだろうなっていうのは宝塚にはまったことですね。これは間違いない。愛とは? ってめっちゃ考える頻度増えたもん。どんな脚本でも「いやこれも一つの愛の形」とかって考えるじゃん……

だから登場人物の行動の細かなところに愛情を感じたりするようになったのかな。そういう変化なのかな。今までが鈍感すぎたのかもしれないけど、そういうことは悔やんでもしょうがないしな。

 

こうして作品の感想とかじゃなくて自分の話を延々と書いてると、私何やってんだろって思うんだけど、これ私のブログだし客観的に見て恥ずかしい語りだとしても書く。感想とかだって結局は自分を映す鏡のようなもの。そういうことに恥ずかしさを感じないから小説とか漫画とかがかける。読み返して恥ずかしくなることはあるけど、何に対して恥ずかしいのか考えると恥ずかしくなくなります。己の未熟さについて恥じる部分はあれど、それを笑う人に対して臆する必要はないからだ!

 

もちろん人を傷つけかねないとか、当時のモラルの未熟さ故の内容に気付いたときは消したり訂正したりするようにしています。過去にピクシブにあげた漫画もキャプションの「ホモ」表記を「BL」に直したけど、漫画本文のはどうしようか、キャプションに注記しようか作品ごと消すか迷ってる。もうそんなにたくさんの人の目には触れないと思うけど、キャプションに注記の方がかえって喚起できるものもあるかなーと思ったり……作品を消すのは名残惜しいという本音もありますが、キャプションにつらつら書くのも「意識高い系ですよ!」って言ってるようで敬遠されるかなと思った、思ったけど、それで意識高い系だと思われて敬遠されても別にいっか! いいよね! バイバイ差別! その時自分で正しいと思った行動をとらなければ後悔する。

 

席を譲ろうとして無視されてもいい。善意で声かけして無視されるのはいいんだけど、それより街頭のペッパーに無視される方が傷付く。野良猫にも平気で挨拶できるのにペッパーに話しかける勇気が出ないのはなんでなんだろう。私ペッパーのこと下に見てんのかな……ごめんね……

 

 

全然関係ないけど最近ショックだったことをふと思い出した、私東海圏在住で名古屋にキルフェボンがいつかできると信じて待ってたんですけど、昔あったんだって!! 閉店したんだって!! だから今後の望み薄いみたい!! 悲しー!!